うちの代表・沼田さんが、9/29、10/6の親業講座
「ゴードン博士のコミュニケーション講座~初級編~」を開催するということで、
私も親業(ゴードン博士)について検索してみました♪
「トマス・ゴードン博士の親業訓練講座(P.E.T.)」というサイトに
ゴードン博士の「自立心を育てるしつけ」という本から
『罰の欠陥と危険性』の部分が引用されていて、とても共感できました。
やっぱりそうですよね!!っていう感じ。
一部分、紹介します(^^)
「賞罰」について書かれています。
**************************************************
親の八四%~九七%は、子供に体罰を使ったことがある。子供をさんざん叩きのめす親は、二ヶ月に一度以上はやっている…(中略)
これほど体罰が使われるということは、賞がいかに効き目がないかを、物語るものである。ほとんどの家庭では、望ましい行動に対する賞がうまくいかないことがわかると、親は賞をやめる。そして、望ましくない行動を罰し始める。(中略)
鬼のいぬ間に・・・
ときには罰も、子供の困った行動を抑える効果がある。
しかしそれも、コントロールする側がいる時に限って、有効なのである。罰を加える大人がいなくなると、困った行動は繰り返される。もっと激しく、頻繁になることもある。親も教師もこのことは、よく知っているはずだ。
これについて、アイオワ大学のロナルド・リピットとロバート・ホワイトによる、古典的な実験研究(1943年)がある。ボーイズクラブの子供たちが、対象となった。
それによると、コントロールの強い権威主義的なリーダーであると、そのリーダーが部屋にいなくなったとき、子供達はそれまでの作業をやめる。そして以前に禁止された、破壊的で攻撃的な行動を始めた。
コントロールが強くない民主的リーダーの場合は、リーダーが部屋を出る前に始めていた作業を続けることが、はるかに多いという。私はこの実験の映画を見たが、二つのグループのきわめてはっきりした違いに、驚いたものだ。
繰り返し言おう。大人が外的に加えたコントロールが、子供に内的に生じる自律を教えるのに最適だ、とは言いがたい。
懲罰的な大人によるしつけでは、自己規律のある子供はできないのだ。
罰が攻撃と暴力を生むのは
従来の「常識的」な考え方では、罰は子供の攻撃的な行動を防止するものだった。しかし、事実は反対である。きびしく、懲罰的な、力に基づく罰は、実際には子供の攻撃性を引き起こすのだ。(中略)
モデリングと呼ばれる過程からも、罰が攻撃性を促進する。
周知のように、子供は偉大なる模倣者である。
大人、特に親のすることを、見てまねる。親が暴力でしつけ、コントロールすることが多ければ、次のような強力な教訓を、子供に教えているに等しいのだ。
「人間関係の中で、物理的な力や暴力を使うことは適切で、受け入れられる行動だ」
「力が正義をつくる」
「愛する人に暴力をふるうのは、正しいことだ」
「欲しいものが手に入らないときは、そのために闘え」
「対立で勝つのは、大きくて強いほうなのだ」
体罰は子供に、家庭の中でも外でも暴力を使え、と教えてしまうのだ。
体罰の被害者に、生きた学習体験として、教え込んでいく働きをするのだ。だから各世代の子供は、自分が家庭で見聞きし、体験したことをモデルとして、暴力を身につけていく。(中略)
力を使えば、高くつく
コントロールされる側は、罰の力によって傷つけられる。しかしコントロールする側も、かなりの代価を払うのだ。
コントロールする側は常に、コントロールされる人たちにおびやかされている。強制力で規律を実行させれば、不合意と反乱が起きるのを避けられない。一時的に抑えられても、ふつうは地下に潜り、後で反乱になって爆発する。(中略)
力に大きく頼るリーダーは、ほかのメンバーから疎外される。
だから、権威主義的なリーダーのほとんどが、トップとして孤独を感じる。一緒に働く中に、親しい人がほとんどいない場合が多い。
強圧的な親や教師でも、同じことが言える。自分の子供や生徒から、疎外されるのだ。
コントロールする側は好戦的で、力を失わないかと不安になる。
他人に猜疑心、不信感を抱く。他人を犠牲にして勝つことには、罪悪感が伴なう。心理的地獄とでもいう状態を、自分で作ってしまうのだ。
もう一つ、コントロールする側が払うべき代価がある。メンバーが非生産的で有害な、各種の行動を始めて、グループ全体の効率が悪くなることだ。それによって、コントロールする側の仕事の安定が、おびやかされる。特に有害なのは、コミュニケーションが目に見えて少なくなることだ。罰せられるのを恐れて、問題や悩みをリーダーに知らせたがらなくなる。メンバーは、
「上司が知らないからといって、自分が困るわけじゃないし」
「リーダーの聞きたがることだけを、言っておこう」
という態度になる。その結果、「イエスマン」ばかりになる。
メンバーが自己防衛的になると、職場にしろ教室にしろ、家庭にしろ、その集団全体の効果が下がってしまう。そしてリーダーは、何も知らされないので認識が制限され、問題の所在をはっきりさせる能力が、小さくなってしまうのだ。
強制的なリーダーシップの下にいると、ときには心理的、物理的に、自分をそこから引き離す方法を、見つけることがある。生徒は授業中に、教師から指名されないようにと努力する。十代の子供が部屋へこもり、親のコントロールから逃れる。学校を退学する、などなどだ。(中略)
そこからわかるのは、押し付けは子供の精神衛生に有害だ、ということだ。
罰によるしつけは、子供の情緒に害を与える、それは社会にとっても良くない、病める子供は情緒障害をもつ。非生産的、反社会的であり、往々にして暴力的な市民に成長していくのだから。(中略)
権威への服従は美徳ではない。私達の社会によくある病気と考えるべきだ。と私は思う。そこで私の結論として、あらゆる大人に対して、次の処方箋を提供しよう。
ほかの人と接する時に、権威や力ではない効果的な方法を、早急に社会に取り入れなければならない。
ほかの人とは、子供も大人も含まれる。人間に、勇気と自律、自己規律を与える方法を。権威に服従することが、自分の善悪の感覚と矛盾する時は、その権威にコントロールされるのを拒否できる人間を、生み育てる方法を。
…
***********************************************************
私が今勉強している「STEP 勇気づけ」の平等と尊重・ほめない叱らないと通じていますね~!




