今日の東奥日報朝刊に
「教員の体罰は対象外」という記事がありました。
中身は、
自民党は、文部科学部会のプロジェクトチーム会合で、
いじめ防止対策基本法案(仮称)の対象から
教員による体罰を除外する新たな骨子案を示した。
…これまでは教諭による体罰もいじめと位置付けていたが、
体罰は学校教育法で禁止されており、政府、与党内から
「いじめと体罰を一緒にするのはおかしい」との指摘であった。…
ですって。
いじめ と 体罰 は 違うんでしょうか?
体罰は立場が上の者から下の者に対する「いじめ」ですよね。
そして、体罰=暴力。
体罰は学校教育法で禁止されており…???
って、禁止されているのに体罰のせいで自殺者まで出ている。
禁止されているのに、いまだに体罰があって、それをうやむやにする、隠す。
どうして認めたくないんでしょうか。
暴力なんです。体罰もいじめも。
殴る蹴るの他に、言葉の暴力もある。
圧力。
パワハラ。
それと、もうひとつ、
夕刊の明鏡欄で、
「給食食べきれぬ1年生に悩む親」
読んでいて、お母さんの苦しみ、1年生の子どもの苦しみがよくわかります。
もともと食が細い子なのに、給食の「完食週間」があり
自分のせいで自分のクラスだけ完食マークがつかないことで
先生やクラスメイトにせめられるとのこと。
お母さんも「食べ物を粗末にしない」や「食わず嫌いを直す」などの
給食の目的は分かっているのです。
それなのに、食が細くてたくさん食べられない子どもに、
よその子と同じ量を食べることを強要することが教育なのでしょうか?
完食を目指すなら、その子その子、ひとりひとりに、
各自食べられるだけ盛り付けてあげる配慮が必要なのでは?
なぜ学校は、みんなが同じでなければならないんでしょう…。
個人個人違うのに。
その子に合った対応をするのがそんなに面倒くさいことなのでしょうか?
ん~…、こういうことが、体罰やいじめにつながっているような気がします。
人と同じでなければダメ…という思い込みが。
私と小鳥と鈴と
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
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人と比べなくてもいい、人は人、私は私。
みんなちがって、みんないいよね❤