ゆうべの地震、けっこう揺れましたね(>_<)
ひさしぶりに大きい揺れで、少しコワかったです。
で、今朝、何気なくNHKにかけたら、「サキどり」という番組で
『大地震から園児を守れ』というのをやっていました。
その中で、「大人が子どもを守る」ことよりも、
「子ども自身が、自分で自分を守る」ことができるように、
その方法を、子どもがわかるように知らせておくことが大事だと言っていました。
とおりいっぺんの避難訓練では、イザというときに
子どもたちは先生にしがみついて怯えるだけで、
自分の身を守ることができないのです。
頭や体に物が落ちてこないようによける
(頭を守る・上から物が落ちてこないところをさがす)
揺れが大きいとどんなことがおこるか
(窓ガラスが割れると破片が落ちる・火事になったら煙が出る)
そういうことを、子どもにも一緒に考えさせて、どうすればいいか具体的に教えていました。
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↓
2013年2月 3日放送 「サキどり」大地震から園児を守れ
子どもが何もわからないと思ったら大間違いです。
3才から5才の園児でも、きちんと話せばわかります。
大人がやってあげるんだから教えなくてもいい、ということではないんですね。
子ども自身が考えて動ける、災害時でも通常時でもそうできたらいいんじゃないかな。
大人が、大事なことを適切に教えて、見守る!のがいいです♪
「マイナスの自己暗示」からあなたの心を救い出す本(山崎雅保)
読み終えましたよ❤
みなさまにもオススメしたい本です♪
本の中から、いくつか紹介…
★我慢しすぎは、自分の命と心を裏切る行為
我慢が大切。我慢しなさい、耐えなさい。
それができるのが美徳であるかのように、それができなかったら人間失格かのように思い込まされてしまう。それはこの国に生まれ育った人々にとって、多くの場合の現実です。
そのおかげで無用・不要な強い我慢グセから抜け出せず、苦しくて悔しい歳月をあまりにも長く耐え過ごしてしまう人が目立ちます。
社会生活・家庭生活を営んでいる以上、確かに我慢したほうがよいことは少なくありません。けれど、我慢ばかりしていてよいはずがありません。まして「私だって我慢したんだから、あなただって我慢しなくちゃ」と説く意見に牛耳られていてはいけないのだと、ボクは信じます。
それは自分の命と心を裏切る行為だとさえ思います。
我慢しなさい。私だって我慢したのだから。
お気づきの方もいますね。つらい我慢をたくさん重ねた人ほど、そんなふうにいいがちです。人は意外にも、つまらぬ落ち度をおかしがちなのです。
「私だって我慢したのだから、この子(人)にも我慢させたい」
我慢の連鎖は、人々の心を委縮させてしまいます。
★マイナスの暗示を打ち破る「嫌だ」の力
うつ病にならないために。自死に追い込まれないために。
「嫌だ」をはっきりいえる練習をする。
嫌なことは嫌。この感情が自発性の原点。
だからこそ幼児期の「なんでもかんでも嫌だ」をつぶさないこと。
嫌だ、は大事な自己主張。
簡単な「嫌だ練習」を毎日やっていると、心の条件反射が変化する。
★「大丈夫」と「嫌だ」は、最強の自己暗示セット
…「大丈夫」は、安心と肯定感を培ってくれる、最もシンプルな自己暗示です。不安がちな人、引っ込み思案な人、この一歩が踏み出せない人、何かにつけて先行きを考えては不安や恐れにとらわれてしまう人など、厄介な心グセに戸惑っているすべての人にとって、万能薬的に効果を発揮する自己暗示です。
…「嫌だ」は、積極的に「拒む・断る」という感情を表面化させて、自分の好き嫌いや、自分の都合や自分の感情にふさわしい行動や選択ができるようになる自己暗示です。
この二つの自己暗示は、セットになったときには、それこそ最強の効果を発揮してくれます。
★私は私、あなたはあなた。私は私のために生きる。
心理カウンセラーなら誰でもが知っている一文があります。ゲシュタルト心理学と呼ばれる領域でとくに重要だとされている『ゲシュタルトの祈り』です。
いわゆる世間的な常識にとらわれていると、この言葉は分かりにくい、あるいは受け入れにくいかもしれません。けれども、本当はすばらしい暗示を内包している言葉です。そして「冷たい」と誤解されがちでありながら、本物の愛に根ざしている言葉でもあるのだと、ボクは感じています。
「ゲシュタルトの祈り」
わたしはわたしのことをやり、あなたはあなたのことをやる。
わたしはあなたの期待に応えるために、この世にいるわけではない。
あなたはわたしの期待に応えるために、この世にいるわけではない。
あなたはあなた わたしはわたし。
もし偶然にお互いが出会えれば、それは素晴らしいこと。
もし出会わなければ、それはそれで仕方がないこと。
…自分が自分の人生の主人公だと思えないでいる人は、他の誰かのために役立つ自分、他の誰かの人生を支える自分であることに、生きる意味を見出そうとしてしまいます。
「誰かのために」。それは「よいこと」とされがちかもしれませんが、実際には、はた迷惑な結果をも招きがちなんです。
自他境界線を上手に意識できない人は、たとえば「余計なお節介ばかりしては疎ましがられる人」になってしまいます。あるいは過干渉・過保護をやめられずに子どもの心の発達を阻害する親にもなってしまいます。
DVなどの暴力的で身勝手な行動を繰り返す「未熟な心」を甘やかし続けてしまう共依存にも陥ってしまい、そこから離脱できないまま悲惨な人生を送る結果にもなりかねません。
「我慢の連鎖」と「暴力の連鎖」、同じですね。
(わたしがそうされてきたのだから、あなたもそうされるべきだ。)という思い込みと強制。
親子、夫婦、先生と生徒、指導者と弟子、嫁と姑、先輩と後輩、上司と部下…。
こうしてみると、どれも上下関係になりやすい間柄です。
ここを上下関係でなく、お互いに尊重する関係にしたらどうでしょう?
想像しただけで、関係がよくなることが予想できます。
あたたかい雰囲気。やる気アップ。スムーズなコミュニケーション。
問題のすみやかな解決。安心。安全。思いやり。平和!
まず第一歩は、自分の気持を大切にすることから(^^)